「我慢はしなくてよい」を勘違いしないために。

雑記
スポンサーリンク

「我慢するな、さっさと逃げて良い」
というような風潮が最近目に付きますが、なんでもこれで良いというわけではないと思うんですよね。

私自身もやはり我慢してしまうタイプなので、ブログタイトルにも「社畜」などという文言を入れてしまっているのですが、そうやって言うことで利する人が居るということも頭に置いておきたいと思っています。

今の時代、そういった言葉が刺さる人たちが多いのは事実としてあると思います。
なりふり構わず逃げるべき人たちも大勢いらっしゃると思います。

ただ、0か1かで我慢しなくて良いという風になってしまうと、ただ孤立していくだけではないかなと思うのですね。
孤立することを良しと出来る人も居るわけですが、大多数の人たちはそうではありません。

特に「我慢せずに逃げて良い」と言われて逃げるような人ほど、孤立してしまうと良くない傾向を感じています。

「我慢しなくて良い」というのを間違って受け取めてしまうと、ただただ自分勝手な人間な出来上がってしまい、結果的に孤立することになりかねません。

最初に書いた、「我慢するな、逃げて良い」というのは、主に会社員に対して放たれることが多い言葉ですが、その際、社会的に認められている制度をフル活用するべきというような文脈になっていることが多いと思います。
つまり、「正当な権利を主張して、ルールに則ってお前は逃げて良い」という部分を勘違いしないようにしたいものです。

自分のがやりたいようにやるんだ!マナーなんて知るか!という事とは全く異なるわけですね。

外を歩いていていても、ひたすらスマホをいじってフラフラしている人とか居ますよね。
乗り換えで移動してる間くらい我慢すれば良いのに…といつも思います。

他人を思いやりつつ、自分の権利や自由は主張する。
そういう人に私はなりたいなぁと強く感じる今日この頃です。

いやぁ、ここ最近のTwitter界隈をみていると考えさせられますね。
その裏には常に商売としての建前があるんですよね。

それもやり方の一つだと思いますし、一定以上の成果が出るのでしょうね。
参考に出来るところは参考にしつつ、自分にとって消耗しない形かつ周囲に迷惑を掛けない生き方を引き続き模索していきたいと思います。。

コメント